川内高城温泉

川内高城温泉


湯量豊富、泉質優秀な高城温泉は他に類を見ないと言われ、平成2年、全国2300とも2500とも言われている温泉の中から全国名湯百選(NPO法人健康と温泉フォーラムが、温泉療法医がすすめる温泉として選定した日本の温泉の一覧)に選ばれました。鹿児島では指宿温泉、霧島温泉と並ぶものです。Ph9.3以上無色透明の硫黄泉はぬるぬるした手触りなめらかな浴感が特徴的です。

 

 

泉質: 単純硫黄泉
適応症: 神経痛・リウマチ・腰痛・筋肉痛・胃腸病・婦人病・病後疲労回復 など

列車:JR川内駅または肥薩オレンジ鉄道西方駅下車。
川内駅から南国交通バス川内高城温泉行きで40分、竹屋前下車。西方駅からも高城温泉経由バスあり。

車:南九州道日奈久ICから国道3号、県道339号線を経由35km。

 

大正初期の高城温泉
大正初期の高城温泉

■ 川内高城温泉郷

川内高城温泉郷は鹿児島県薩摩川内市中心部から北西に12km。海岸線沿いの静かな山間にあり、鄙びた温泉街の佇まい、軒を並べる土産屋は懐かしい風景を残しており、古くから情緒ある湯治場として知られています。自炊宿が多く湯治や保養向けの温泉です。以前は農閑期になると甑島、熊本からのお客さんで賑わいをみせていたそうです。かの西郷隆盛も高城温泉を訪れた言い伝えが残っています。

高城温泉は鎌倉時代編纂の『建久図田帳』(建久年間に鎌倉幕府の命令により全国規模で作成された国ごとの土地台帳のことで大田文(おおたぶみ)、図田帳などと呼ばれた)にその名を記されています。旧藩政時代から湯治、保養温泉として利用されていました。
また、薩摩藩名所図会の『三国名勝図会』(江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書、特に、神社や寺院についてはその由緒、建物の配置図や外観の挿絵まで詳細に記載されています。
また、各地の名所風景を描いた挿絵も多く、当時の薩摩藩領内の様子を知るための貴重な資料となっています。(全60巻に紹介)。しかし、いつごろ高城温泉が発見されたのかは、はっきりしていません。一説によると文和年間(1352〜55年)に川内大小路の住人、大谷某により発見されたと言われ、さらには約800年前(1200年ごろ)に宣教師により発見されたとも伝えられています。
■ 温泉祭りの風景

昭和27年の 「高城温泉祭り」
昭和27年の 「温泉祭り」
万国旗が飾られている

■ 川内高城温泉の移り変わり

古くは湯川内(ゆごうち)といわれた時期があります。高城郷に属し、湯ノ元温泉、高城温泉と呼ばれてきました。
昭和40年川内市合併によって湯田町と改名され
昭和42年3月川内温泉開発協同組合設立を機に「川内高城温泉」となりました。
現在でも高城温泉が薩摩川内市湯田町にある事から「湯田温泉」と呼ぶ方も多くいらっしゃいます。

■ 西郷隆盛宿泊跡


西郷隆盛翁隠棲御滞在之家
藩主島津忠義公御出張之家

上床ミノさん宅(当時)の六畳二間に西郷さんは幕を張って1週間ほど滞在したそうです。また、島津忠義公も上床宅をご出張の宿とされました。

西郷どん御狩場マラソン

高城商工会青年部と川内高城温泉振興会では毎年11月頃この静かな温泉郷で「西郷どん御狩場マラソン 」を3km‐5km‐10kmの各コースで開催しています。参加者には緒狩場鍋(猪汁)が振舞われ温泉無料券も配布されます。

高城商工会
薩摩川内市陽成町4650
TEL (0996)30-0650
FAX (0996)30-1483
薩摩川内市商工会高城支所HP

■ 高城温泉の四季

高城温泉を流れる湯田川


湯田川上流の高城温泉。
春は鶯、夏は蛍、秋は鈴虫など

四季折々の自然をご堪能下さい。

高城温泉宿泊施設

旅館名  お問合せ先
富士屋  (0996)28-0872
双葉屋  (0996)28-0018
梅   屋  (0996)28-0016
西方屋  (0996)28-0048
泉   荘  (0996)28-0122
喜久屋  (0996)28-0017
竹 屋  (0996)28-0015
マル善  (0996)28-0062

※宿泊の際は必ずご連絡の上ご確認下さい。

 

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